知性もあらゆる物と同じく消耗する。学問はその栄養である。知性を養い、かつそれを消耗する。by ラ・ブリュイエール
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
以前、『獣の奏者』を読んだ際に、mixiの上橋さんのコミュニティで「狐笛のかなたも素晴らしい作品です」という書き込みを見たので、数ヶ月前に生協で買って、
「獣の奏者があんなに面白かったんだから、絶対これも面白いに違いない!」
と思って、大事にあたためていた本です。その期待にこの本は十分応えてくれたと思う。
ジャンル的には和風ファンタジー。〈聞き耳〉の力を持つ小夜という少女と、呪者に縛られた霊狐・野火の物語。
ざっくばらんに言ってしまえば、この二人の恋愛を描いている話ということになってしまうんだろうけれど、もちろんそんな陳腐な話にならないのがこの作品の魅力。
人の思いとか、人と人との関係が透明に表現されていてすーっと沁み込んでくるよう。人の描写だけでなく、風景の描写もまた洗練されていて、読んでいると自分が今本当に桜を見ているようで、妙な懐かしさを覚える。
上橋さんはあとがきに、
「これは、私の心の底にある〈なつかしい場所〉の物語なのです」
と書かれていて、その思いは読んでいるこちらにも屈折することなく伝わってkる。
すばらしい作品というのは、読んだあとの余韻がいつまでも続くような錯覚を感じさせると思う。単に笑える作品、泣ける作品を読んで思いっきり笑って思いっきり泣いたりするのも好きだけれども、それ以上にこういった余韻を感じさせる作品はさらにいい。
こういう作品に出会えるから、読書はやめられない。
「小夜は12歳。人の心が聞こえる〈聞き耳〉の力を亡き母から受け継いだ。ある日の夕暮れ、犬に追われる子狐を助けたが、狐はこの世と神の世の〈あわい〉に棲む霊狐・野火だった。隣合う国の争いに巻き込まれ、呪いを避けて森陰屋敷に閉じ込められている少年をめぐり、小夜と野火の、孤独でけなげな愛が燃え上がる……ひたすらに、真直ぐに、呪いの彼方へと駆けていく、二つの魂の物語。」
「獣の奏者があんなに面白かったんだから、絶対これも面白いに違いない!」
と思って、大事にあたためていた本です。その期待にこの本は十分応えてくれたと思う。
ジャンル的には和風ファンタジー。〈聞き耳〉の力を持つ小夜という少女と、呪者に縛られた霊狐・野火の物語。
ざっくばらんに言ってしまえば、この二人の恋愛を描いている話ということになってしまうんだろうけれど、もちろんそんな陳腐な話にならないのがこの作品の魅力。
人の思いとか、人と人との関係が透明に表現されていてすーっと沁み込んでくるよう。人の描写だけでなく、風景の描写もまた洗練されていて、読んでいると自分が今本当に桜を見ているようで、妙な懐かしさを覚える。
上橋さんはあとがきに、
「これは、私の心の底にある〈なつかしい場所〉の物語なのです」
と書かれていて、その思いは読んでいるこちらにも屈折することなく伝わってkる。
すばらしい作品というのは、読んだあとの余韻がいつまでも続くような錯覚を感じさせると思う。単に笑える作品、泣ける作品を読んで思いっきり笑って思いっきり泣いたりするのも好きだけれども、それ以上にこういった余韻を感じさせる作品はさらにいい。
こういう作品に出会えるから、読書はやめられない。
「小夜は12歳。人の心が聞こえる〈聞き耳〉の力を亡き母から受け継いだ。ある日の夕暮れ、犬に追われる子狐を助けたが、狐はこの世と神の世の〈あわい〉に棲む霊狐・野火だった。隣合う国の争いに巻き込まれ、呪いを避けて森陰屋敷に閉じ込められている少年をめぐり、小夜と野火の、孤独でけなげな愛が燃え上がる……ひたすらに、真直ぐに、呪いの彼方へと駆けていく、二つの魂の物語。」
PR
最近やっぱりブログは便利なんじゃないかと思ったので、放置していたブログはちょっと脇に置いて、新しくブログを立ち上げてみました。
アフィリエイトの使い方とか学びつつ、色々更新しようと思う。
来週の土曜日に東京で開かれる文芸ワークショップに参加するつもりでいます。
そのために、掌編小説を書いたのだけれど、久々に書いてみたら昔よりも創作力が劣ったなー、と痛感。高3の頃はがむしゃらに毎日書いていて、一日平均8千字とか書いていた日々が夢のよう。たぶん、あの頃のほうが語彙力はあったんじゃないだろうか……。
大学で、「出席カードの裏に授業の感想を書いてください」とか、「レポートは観てきた舞台の感想を書いてください」とか、何かの感想を書くことが度々あるのだけれども、ひたすら毎日創作をしていた時のほうが感想を書けてた気がします。
今も書けない訳ではないけど、表現する文章がどうしてもありふれてしまう。典型的な表現を鉛筆でなぞっているようなそんな感じがして、どうも気持ちが悪い。
こうじゃないんだ。
ってつぶやきたくなる。
私は大学に入るために浪人して、大学に入って、その結果得た今の生活とか環境とか人間関係はとても満ち足りている。浪人して良かったなー、と。
ただ、その期間得たものばあれば見失ってしまったものもある訳で……そのひとつが、創作力なんだと思います。
昔はアイディアなんてぽんぽん出て来て、見知らぬ人にどんなテーマを投げかけられようとも何でも書ける、みたいな強い感覚があったのだけれど、ここ2年くらいでそういった感覚が衰えてしまった気がする。
創作、という行為は自分の意思が確立してくるのと同じ頃から私と一緒に歩いてきたもので、その力が弱まってきてしまうのは、悲しいとか寂しいとか苦しいとかそういった感情とは違う特殊な感情を呼び起こして、なんとも言えなくなる。
簡単に言ってしまえば、スランプなんだろうなぁ。あぎゅあぎゅ。
そんなスランプ期に書いた話だから、掌編小説は納得のいくものではないけど、何がなんでもとにかく書くっていうのは大事だから一応そこそこの形にしました。
伝えたいものが表現しきれなかったのが心残り。
アフィリエイトの使い方とか学びつつ、色々更新しようと思う。
来週の土曜日に東京で開かれる文芸ワークショップに参加するつもりでいます。
そのために、掌編小説を書いたのだけれど、久々に書いてみたら昔よりも創作力が劣ったなー、と痛感。高3の頃はがむしゃらに毎日書いていて、一日平均8千字とか書いていた日々が夢のよう。たぶん、あの頃のほうが語彙力はあったんじゃないだろうか……。
大学で、「出席カードの裏に授業の感想を書いてください」とか、「レポートは観てきた舞台の感想を書いてください」とか、何かの感想を書くことが度々あるのだけれども、ひたすら毎日創作をしていた時のほうが感想を書けてた気がします。
今も書けない訳ではないけど、表現する文章がどうしてもありふれてしまう。典型的な表現を鉛筆でなぞっているようなそんな感じがして、どうも気持ちが悪い。
こうじゃないんだ。
ってつぶやきたくなる。
私は大学に入るために浪人して、大学に入って、その結果得た今の生活とか環境とか人間関係はとても満ち足りている。浪人して良かったなー、と。
ただ、その期間得たものばあれば見失ってしまったものもある訳で……そのひとつが、創作力なんだと思います。
昔はアイディアなんてぽんぽん出て来て、見知らぬ人にどんなテーマを投げかけられようとも何でも書ける、みたいな強い感覚があったのだけれど、ここ2年くらいでそういった感覚が衰えてしまった気がする。
創作、という行為は自分の意思が確立してくるのと同じ頃から私と一緒に歩いてきたもので、その力が弱まってきてしまうのは、悲しいとか寂しいとか苦しいとかそういった感情とは違う特殊な感情を呼び起こして、なんとも言えなくなる。
簡単に言ってしまえば、スランプなんだろうなぁ。あぎゅあぎゅ。
そんなスランプ期に書いた話だから、掌編小説は納得のいくものではないけど、何がなんでもとにかく書くっていうのは大事だから一応そこそこの形にしました。
伝えたいものが表現しきれなかったのが心残り。
