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知性もあらゆる物と同じく消耗する。学問はその栄養である。知性を養い、かつそれを消耗する。by ラ・ブリュイエール

   
カテゴリー「創作」の記事一覧
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 毎週、金曜日に文章のレトリックについて学ぶ授業を受けている。色々な作家さんの文章の例を取りつつ、「漸層法」とか「類義累積」とか、そういった技法を学んでいる。

 最近はあまり創作をしないからなんとも言えないけれど、授業でレトリックの技法を学んでいると、そういえばなんとなくそんな書き方をしていたなあ、と思えることが何度もあって、自分が<なんとなく>やっていたことを、理論付けて解説してもらえてとても楽しい。授業取って正解だったなって思う。ただ、自分のなかにある<なんとなく>の感覚とレトリックは、似ているようで根本的には違うものだと思う。
 その<なんとなく>の感覚って文章を綴る人それぞれ違うもので、それが作家の<色>なのかなと思う。レトリックのようなものは<型>で、ある程度の型なら磨けばそれなりのものになると思うけれど、<色>はその人にしか持ちえないもののように思う。
 その<色>がどんな色になるかは、きっとその人の経験に依る。すぐに文章の表現に直結するものなら、それまで読んできた本の種類。<白>い本を好んで多く読んで、たまに<青>い本を読んで、それで文章を書けば<水色>の文が綴られていくのかなと思う。その<水色>も人によってさまざまで、<水色>というよりも<天色>に近いのかな、とか。
 あとは、私が綴る文章は何<色>なんだろう。赤系統なのか、青系統なのか。私の元になった好きな作家さんの文章は何<色>なんだろう、とか。
 そんなことを考えるのは、何かとても楽しい。別に何か生み出しているわけではなく、有益なこととは思えないけれど、なんだか楽しい。

 授業が終わった電車のなかで、そんなことを考えながら帰りました。

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 露店が並ぶ通りを六人でぞろぞろと歩く。そのなかで、浴衣を着ているのはわたしと佳世子さんだけで、だからかつんかつんと下駄で石畳を打ち鳴らすのもわたしと彼女だけだ。黒地に桜模様の浴衣は佳世子さんにとてもよく似合っている。浩ちゃんの隣で笑いながら話している彼女はきらきらと輝いていて、この境内にいる誰よりも魅力的だった。浩ちゃんは恥ずかしがって話してくれないけれども、そういった彼女の自然と発している何かに浩ちゃんは惹かれたのだと思う。おそらく、付き合って四年になる彼らはそのうち結婚するのだろう。そんな流れを感じる。今のままあたたかい空気を放ちながら、家庭を築いていくのだろう。
 お父さんとお母さんも付き合っている当初はあんな感じだったのだろうか。わたしの後ろを歩いているお母さんは、浩ちゃんのお母さんと楽しそうに世間話をしているけれど、そんなお母さんが一番前を歩く朴訥とした雰囲気のお父さんと仲睦まじげに手を歩いていた様子など、まったく想像できない。無理に想像しようとすると、妙な嫌悪感が鎌首をもたげる。
「何か、お悩み?」
 ひょっと佳世子さんの顔が現れた。にわかごとに、どきりとする。
「あれ、浩ちゃんは?」
 考えごとをしていた間に、佳世子さんと一緒に歩いていたはずの浩ちゃんの姿がきれいに失せてしまっていた。
「たまたまお友達と会ったみたいでそっちのほうに行っちゃった。ひどいよね、彼女ほっぽりだしてさ。あとで文句を言ってやろう」
 そんなことを口にしながらも、彼女はどこか愉しげで、あとで文句を言いそうな感じはちっともしなかった。こういうちょっとしたことで二人の仲の良さがわかる。
「さつきちゃんは何を考えてたの?」
「お父さんとお母さんのことです」
「ほうほう。具体的にどんなことかな?」
「浩ちゃんと佳世子さんみたいに、お父さんとお母さんも昔は仲良しだったのかなーって。でも、互いににこにこしながら手を繋いでるお父さんとお母さんのことを想像してみると、なんか気持ち悪いんですよね」
 正直に考えていたことを話すと、佳世子さんは毬のような顔を一瞬きょとんとさせて、それからすぐにけらけらと笑いはじめた。
「そうかそうか、そんなことを考えていたのかー。かわいいねえ、さつきちゃんは。でもね、きっとそんなもんなんだよ」
「そんなもん?」
「男女の仲っていうの? 最初は燃え上がってその結果子供が生まれたりして、それでだんだんと落ち着いた関係になって家族になる。だから、わたし達もそのうちさつきちゃんのお父さんやお母さんみたいな関係になるんだと思うよ」
「そんなもん、なんですか?」
「そんなもん、だよ」
 返事をしてすぐに、佳世子さんは戻って来た浩ちゃんと一緒に脇道のほうへ行ってしまった。六人いたはずのグループから二人が抜けて、空ができて少し寂しい。空の先には何を考えているのかわからないお父さんが歩いているだけで、ぶらぶらと振られているお父さんの手はさらに寂しそうだった。
 その手に昔、自分の手が強く握られていた記憶はいくつもあった。特に濃厚な記憶はこういったお祭りの時の記憶だった。見知らぬ人がたくさんいて恐ろしく感じているなか、大きい手でぎゅっと握ってもらうと、お父さんの根底に潜む力が、手を媒介にしてわたしの中心に注ぎ込まれるようだった。その力を感じ取ると、受け取ったよもう大丈夫だよ、と伝えたくてお父さんの手を力いっぱい握り締めた。そうすると、うんあげたよ、と言わんばかりに寡黙なお父さんが握り返してくれる瞬間が、目に見えない愛情を感じ取れる気がして好きだった。
「お父さん」
「うん?」
 昔よりも白髪の増えたかぶりに向かって確認を取るように言う。
「お祭り、懐かしいね」
「そうだな」
 手を繋ぎ合った多くの親子連れや恋人達に対して、しわの増えた目尻を細めながらお父さんは首肯した。ああ、とそんなお父さんの様子を見て、なんとなくさっきの佳世子さんの言葉が少しだけ納得できた。
 わたしとお父さんがかつて手を握り合っていたように、お父さんと後ろで世間話をしているお母さんも、かつて仲睦まじく手を握り合っていた頃があったのだろう。もうわたしとお父さんは手を繋がないけれど、見えない何かで繋がり合っているように、お父さんとお母さんもだんだんと変化していった何かで繋がり合っているのだろう。その過程を考えると、不思議と嫌悪感は沸き立たなかった。
「ちょっとそこで、りんご飴買ってくる」
 ――そんなもん、なのだろう。
 
おわり

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 サークルの友人と帰っていたら、創作の話になった。
「累華さんは最近書いてるの?」
「たまに書いているけれど、見せられるものじゃない」
「じゃあ、4月の新歓期までに書こうよ」 

 書きたいけれど、そう簡単に書けるものではない。昔のように何も考えずに書くようなことは今はできない。
 大学に入ってからずっと書けない状態が続いている。大学生活は十分楽しいけれど、創作ができないのは苦しい。たまに思いついたものを少しだけ書いたりして、すぐに書く手が止まる。どうしても続かない。

 ただ、今でも絶対に形にしたいと思っているイメージがある。

 ピーテル・ブリューゲルの「雪中の狩人」のような景色、ヨハネス・フェルメールの室内風俗画のような静謐な雰囲気、2005年のオリバー・ツイストのオリバーのような少年、大きな鷹。

 ひとつひとつは断片的なんだけれど、夢で見た形なので仕方がない。
 これを組み合わせて、ファンタジーを書きたいと思っている。書くと陳腐になってしまうのではないかという恐怖感があるけれど、今日友人と話していて書かなければ何も進まないのかなと思った。
 ざっと構成とかを考えて、それから少しずつ書いていこうと思う。

 書き上げたら…………。うん。

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プロフィール
HN:
累華
年齢:
35
性別:
女性
誕生日:
1990/10/06
職業:
大学生
趣味:
散歩 読書 映画や芸術鑑賞
自己紹介:
都内の大学に通う大学二年生。心理学専攻。
将来は作家になりたいので、創作の肥やしにするために色んなものを聞いたり見たり読んだりして経験値を増やそうと奮闘する日々を送っている。
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