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知性もあらゆる物と同じく消耗する。学問はその栄養である。知性を養い、かつそれを消耗する。by ラ・ブリュイエール

   
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自分を描くということ。
「僕は自分の小説の中に自分を描くことはしない。それは身を削る恐ろしい行為だ」

 好きな作家さんが、講演会の時に言っていた。
 その当時はよく文章を書いていて、自分が書いているものは拙いものだけれども、それでも的を射た表現だなと共感した覚えがある。

 思い返してみると、高校時代に書いた話の中にほんのちょっとだけ自分の一部を注いだ人物を登場させたことがあった。

 ――この場面に私がいたら、何を思ってどう行動するだろう。

 文章を綴る瞬間そう考えて、自分をじっくりと見つめる。普段は見ようとしないように心がけてる部分も、この瞬間は意図せず見つめてしまう。自分をゆっくりと解体していく作業、とでもいうのだろうか。ひとつの文を綴るごとに、自分の一部を剥がしていく。
 書き終えたあとは、「終わった」という達成感よりも、熾烈な争いを終えたあとの恍惚感と、同時に力を使い果たしたあとの虚脱感がじんわりと底に渦巻いて、運動をした訳でもないのにとても疲れた覚えがある。

 だめだ。もう何もできない。何もしたくない。

 今考えてみると、たしかに身を削っていたと思う。心のいたるところに傷ができて、血が流れて、痛かった。

 そういえば、似た感覚をかつてカウンセリングを受けている時にも感じたことがある。あれも、自分を削る、解体していく作業だった。
 基本的に先生は何もしない。促すだけ。自分のことを上手く語れずにいると、どうしてそんなことをしたの、と問う。問われて考えて自分の中を見て、見たくなかった自分を引き出す。自分を削る。

 カウンセリングをして良かったという人と、受けなければ良かったという人がいるけれど、それは自分の削り方に違いがあったからじゃないかと思う。もしくは、削ったあとの痛みに堪えられたか堪えられなかったかの違い。

 カウンセリングも、文章で自分を描くことも、実際にやってみないと結果がどうなるのかわからない。安易な気持ちでやってはいけない。
 そんなことを思う。

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1990/10/06
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大学生
趣味:
散歩 読書 映画や芸術鑑賞
自己紹介:
都内の大学に通う大学二年生。心理学専攻。
将来は作家になりたいので、創作の肥やしにするために色んなものを聞いたり見たり読んだりして経験値を増やそうと奮闘する日々を送っている。
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