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知性もあらゆる物と同じく消耗する。学問はその栄養である。知性を養い、かつそれを消耗する。by ラ・ブリュイエール

   
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ピアノを奏でる。
33606481_1395935706_68large.jpg 最近になって、懐かしくなってピアノを弾いている。

 実は、4歳とか5歳くらいの頃から小学校を卒業するまで、7年くらいピアノをやってた。正確にはやめたあとも1年くらいは自分が好きな曲を弾き続けていたので、実質8年くらい鍵盤に触れていたことになるんだと思う。
 やめてしまったのには、先生との折り合いが悪かったとか、私立中学に行くことになったから通うのが難しくなったとか、その他にもいくつか理由があって、でも何よりも私自身の問題だったなーと今になって思ったりする。

 子供の頃は落ち着きがなく、ひとつの物事に集中するのが苦手で(今もそういうところはあるけれど)、1時間ピアノの前に座ってひたすら同じ曲を練習するというのが苦しくて苦しくてたまらなかった。そのせいでピアノを続けるのが嫌になって、ブルクミュラーも完成させることなく挫折。

 それが、8月の中旬に家を大掃除した時にずっと弾いてなかったピアノが出て来て、懐かしくなって覚えていた曲を弾いてみたら、楽しくて楽しくて仕方がない。自分で音を奏でる時の、あのなんとも言えない高揚感。
 憑かれたみたいに本棚の奥にしまわれていた楽譜を取り出して、昔弾いていた曲を練習しながら、そういえば、昔もピアノを弾くのがとにかく楽しかった時があったなー、ということをしみじみと思い出した。
 鍵盤に触れていると、忘れていた色々なことが思い出されて、急におかしくなったり恥ずかしくなったり、とても悲しくなったりして、感情がメトロノームみたいに動く。

 どうして、こんなに感情が揺れ動くのかはわからないけれど、とにかく今はピアノを弾くことが楽しい。

 ただ、一つの曲が通しで弾けるようになってと思うのは、自分の弾き方は平淡だなーということ。
 どんな人でも、練習すれば大体の曲は弾けるようになる。でも、弾けるようになってからそこから自分らしく音を奏で、人を感動させるようになるには、単に弾けるだけではだめなのだと思う。指使いとか、手首の柔らかさとか、力加減とか、技術的なものが必要になってくる。
 そういうのを得ようとするには、やはり誰かに指導してもらいながら弾くのが一番で、けれど私には指導をしてくれる人がいない。

 そう思うと、ピアノを続けていれば良かったなーと悔やまれる。今もピアノを続けている友人の話を聞くと、少しだけ羨ましくもある。
 けれど、後悔してもどうしようもないことでもあり……。

 色々と考え始めるときりがない。
 じゃあ、今からまたピアノを習いに行くのかと問われたら、その答えはノー。大学の勉強やバイト、読書時間を考えると、練習する気があっても毎日しっかりと練習時間は取れない。
 結局今のまま時間がある時に気ままに弾き続けるしかない。

 まあ、それでいいんだろうなあ。



 つれづれなるままに書き綴ったせいで、しまりのない文章に……。
 何が言いたいのかわからない文章になってしまったけれど、ピアノを弾くことの楽しさを知った近況でしたー。

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プロフィール
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累華
年齢:
35
性別:
女性
誕生日:
1990/10/06
職業:
大学生
趣味:
散歩 読書 映画や芸術鑑賞
自己紹介:
都内の大学に通う大学二年生。心理学専攻。
将来は作家になりたいので、創作の肥やしにするために色んなものを聞いたり見たり読んだりして経験値を増やそうと奮闘する日々を送っている。
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